2009年01月23日

小西先生 第3の人生へ

小西先生.jpg 2004年のメディアビジネス学科創設以来、苦楽をともにしてきた小西修一先生が、この3月末で大学を去る。4月からは妻の裕子さんと一緒に沖縄県石垣島で第3の人生をスタートさせる予定。絵に描いたような団塊世代の一つの生き方をたどる小西先生に聞いた。

 

 −南の島への移住は前から考えられていたのですか。

 

 広島経済大学にお世話になる前は、松下電器産業(現パナソニック)でビデオ関係の仕事に携わり、最後は航空機内のAVシステム事業の責任者をやっていました。私の人生で一番、忙しいころで米ボーイング社の本社があるシアトル、米連邦航空局(FAA)の試験場があるロサンゼルスなどを中心に世界中を飛び回っていました。めったに大阪の自宅には帰らない、“モーレツ社員”でした。そのころからです。自分の中に何ものにもとらわれない自由で気ままな生活を送りたいといった気持ちが芽生えてきたのは…。

 

−経済大学には5年前、教授としておいでになったのですよね。

 

そうです。57歳のとき話がありました。少し落ち着いて物事を考えてみたいと思い始めていた時期でした。メディアビジネス学科のスタジオなどに入れた機材の多くが松下製だったこともあって、大学でメディア技術論などを教えることになったのです。

 

 −学科では学科主任なども歴任されましたが、「自由な生活」という夢を捨てきれなかったということですか。

 

 というより大学での教員生活がちょうど5年。学科創設時の1年生を送り出し、あと1年やってなんとか自分の責任は果たしたと思いました。それに南の島で暮らしていくには体力的に、もうスタートしなくてはとの思いもありました。

 

 −石垣の暮らしはどんな環境なのですか。小西裕子.jpg

 

 土地は竹富島に近い石垣島の南端に約1650平方メートル(約500坪)を購入しました。家の前の防風林を抜けると前にさんご礁が広がっています。しばらくここでシュノーケリング、ダイビング、釣りなどをしながらのんびり暮らそうと思っています。ダイビングのライセンスは15年ほど前にとりました。家内も一緒に潜ります。今、家を建てようとしているのですが、自然保護区、美観地区ということもあって少し工事が遅れています。しかし、大阪の自宅はすでに手放したので4月からは石垣暮らしのつもりです。

 

 人口減の進む日本の地方の中で、沖縄県は増加傾向が続いている。本土からの移住者が多いせいもある。石垣島は沖縄本島、西表島に次ぐ大きさ。白帆地区の青サンゴ礁は有名で、ダイビング好きの人は一度は訪れたいと夢見る。現在の人口約46000人。小西夫妻もそのうちの二人となる。自分たちの夢に向かって果てないチャレンジを続ける夫妻の第3の人生が実り多いものになるよう広島からエールを送りたい。

 

 (写真は「石垣生活」の夢を話す小西先生。石垣島でマンタとツーショットの

裕子夫人)
posted by 小野 増平 at 14:17| 小野ゼミ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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